7月5日 36度の猛暑の中でしたが、4人(私を含む)の参加を得て、一番行程の長い浅草富士をパスし、
水分、糖分、塩分の補給に注意しながらゆっくりペースで何とか完歩できました。
(梅雨の時期でしたので雨の心配をしていました。猛暑になるとは思いも及びませんでした。)
途中のトピック等を紹介すると以下の通りです。
・ 富士信仰が最も盛んであった江戸時代、富士山参拝は江戸庶民にとって生涯の夢であった。
しかし当時は交通事情も悪く、そうした中、富士山崇敬を目的とした「富士講」が結成され、
全国各地に浅間神社の勧請が行われた。
富士山山開きの6月1日(現在は7月1日)には、富士参りの出来ない人々が、各地元の浅間神社に参詣した。
(浅草浅間神社HPより)
・ 音羽富士入り口には「からすの赤ちゃん」の歌碑がありますが、これは「からすの赤ちゃん」を作詞・作曲した「海沼實」が
護国寺の敷地に児童合唱団 音羽ゆりかご会(懐かしい名前です、ご記憶にある方も多いと思います。)を創設したことに由来するようです。
・鳴子富士のある成子天神社は写真Iに簡単な説明がありますが、七福神や「撫で牛」があったりで、なかなか見ごたえがあります。
交通の便も良いので一度行かれることをお勧めします。
次回は来年のお正月に「都内の七福神巡り」を考えています。
令和6年7月8日(幹事:田辺)
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