昭和34年9月

伊勢湾台風災害記録

東海電気通信局



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表 紙

空前の台風東海を襲う

伊勢湾台風被害復興図

名古屋市付近の浸水状況

長良川上空より長島 弥富方面を望む(9月30日、チャーターしたヘリコプターから)

国道一号線決壊ヵ所上空 すでに自衛隊の仮橋がかけられている(〇内は名阪ケーブルL13ケーブルハット)

ここはもとコメグラともいわれた田園地帯 稔りの秋を目前に、 黄金の波をうたせていた美田は、一夜にして泥海と化してしまった。 決壊口からの水は今なお勢いを衰えさせない−−むしろ猛威を加えつつあるようだ。


長島町上空より弥富方面を望む

長島町上空より弥富方面を望む

長島町上空より弥富 名古屋方面を望む(眼下には果てしない泥海が続く)

弥富町上空 かつて殷賑を極めた国道一号線も胸までつかる泥海と化している(〇内は孤立した弥富電話中継所)

弥富電話中継所が泥海に中に孤立しているのがみえる。 『く』の字形の道は、かつて名古屋−大阪を結んだ国道1号線、胸までの水はいっこうに引きそうもない。 水を、食料を、そしてまだ見つからぬ肉親の姿をもとめる人の姿が目に痛い。


泥海中に孤立した弥富電話中継所(9月30日)

近畿日本鉄道も冠水 復旧のメドたたず(手前は近鉄弥富駅)

架空ケーブル立上り付近(9月30日、弥富町地内)

泥海中の第一東阪 三重 桑名架空ケーブル(弥富町地内)

惨憺たる猛台風のツメあと(9月29日、港区築地口付近)
浸水地帯の交通は舟かイカダによるほか手がない(9月29日、名港通り)

危険でうっかり歩けない港区東海通り付近(9月29日)

水 水 水どこまでいっても泥水は続く(10月9日、中川区十番町付近)

どの家も満艦飾の秋日和(10月9日、中川区十一番町)

浅い所はイカダも使えないので もっぱら徒歩にたよっている(10月9日、熱田区二番町付近)

リュックを背負い 風呂敷をかかえて・・・・(10月9日、熱田区六番町付近)

雨漏りを防ぐため ぬれた布団がカワラの代用となる(9月29日、港区東海通り)

ドス黒い悪臭を放つ水は いつまでもひかない(10月7日、南区南陽通り)

住宅地域は水深1メートルにも及んだ(9月29日、名港通り)

トラックも川へふっ飛んでしまった(10月14日、南区)

デカイ流木に民家は一たまりもなく崩れた(10月14日、南区柴田本通)

道路上は流木の山また山 この山を乗りこえて電報配達する笠寺局員(10月14日、南区白水町)

貯木場ではありません 高潮で押寄せた流木の山 高さは5米もある(10月14日、南区白水町)

電車の軌道もラワン材の山(10月14日、南区柴田本通り)

倒壊寸前の家屋(10月10日、南区三新通)

ボート、漁師舟でにぎわう津島報話局前通り(10月9日)

干潮時にはボートも道端で一休み(10月9日、津島報話局前)

いまだに水のひかない津島報話局前(10月22日)

津島報話局の玄関は臨時の船着場(10月22日、報話局二階から)


完全に水没した永和郵便局 付近に住む人もなく静寂そのもの(10月21日)

水没した永和郵便局の内部 浸水以来やがて一ヵ月 前方中央に見えるのが交換台(10月21日)

津島市の神島田小学校 ここに四ヵ町村の災対本部があり、臨時公衆電話が設置された(10月21日)

神島田小学校内に設置された臨時公衆電話(10月21日)

国鉄永和駅から東方を望む 10月の末ともなれば水は冷たく 行きかう人の表情も暗い(10月21日)

鍋田川堤防が決壊し田畠は泥海に沈んでしまった 写真中心が決壊口(9月30日、弥富町地内)

見渡すかぎり一面の泥海と化した長島町一帯(9月30日)

自衛隊の手によって死体捜査はじまる(10月3日、鍋田川堤防付近)

決壊した国道一号線に 自衛隊によって早速舟橋が架けられた(9月30日、長島町地内)

国道一号線もほとんど壊され 名阪ケーブルも流され切断した(9月30日、長島町地内)

通信局三階に設置された「災害復旧対策本部」

「一刻も早く要員を 資材を 車両を」とテンテコ舞いの災対本部(9月30日)


特に被害の大きかったところは、愛知県では名古屋全市。 一宮・岡崎・豊橋・蒲郡・豊田・半田・刈谷・碧南・津島・西尾の各市と知多郡・海部郡・、三重県では桑名・四日市・熊野・津の各市、 岐阜県では岐阜・大垣・恵那・多治見・土岐・中津川の各市である。


横田副総裁は被害状況視察のため空路来名 吉村通信局長から管内の説明を聞かれる(10月3日、通信局長室)

福田中央電話局長から名古屋市の被害状況を聞かれる副総裁(10月3日、名中話局長室)

修理工具を肩に濁水の中をゆく(10月3日、国道一号線)

応急復旧に出動する工事隊は 濁水の中を現地へ向かう(10月3日、国道一号線)

名阪ケーブルもろ共えぐり取られた国道一号線−−引き上げられたケーブルがみえる(9月30日、長島町地内)

伊勢大橋東詰のマンホール修理が三重通信部線路工事隊によってはじめられた(9月30日)

伊勢大橋東詰マンホールの修理(9月30日)

ケーブル心線の接続作業(10月3日、国道一号線長島町地内)

泥海の中から引上げられたケーブル端ーー手に持っている(10月3日、国道一号線長島町地内)

管路もろとも流失した幹線ケーブル(10月3日、伊勢大橋東詰国道決壊ヵ所)

四日市〜菰野間119号柱倒壊現場(遠景は特高線鉄塔の倒壊 台風の猛威のすさまじさは言語に絶する)

無残な姿となったマンホール(10月3日、国道一号線長島町地内)

さしもの鉄管も台風の猛威にはかなわなかった(10月3日、伊勢大橋東詰国道決壊ヵ所)

大王〜阿児間市外線の復旧工事(三重県大王局区内)

名阪ケーブルの被害ヵ所を視察する通信局長(10月3日、長島町地内)

道路の真中に倒れ 通せんぼうの電柱(伊勢市内 富田幹#18)

高潮に洗われ 浸水した電力室−富田局は全滅に近い被害を受けた(三重県富田局)

高潮の来襲によって一瞬にして無残な姿となった試験室 浸水1.5米といわれる(三重県富田局)

頭部が折れて宙ぶらの電柱(三重県大王局区内 大王〜片田間#20)

やっと引いた泥水の中から無残な姿で現われた公衆電話ボックス(名古屋市南区大同町)

かつての住宅地も流されて今は荒野同然 土台のまま30米も流されてきている(名古屋市内南区柴田西町)

泥水の中の敷設作業は困難をきわめた(10月3日、長島町地内)

胸までつかる泥水の中を ケーブルをつかんで引張ってゆく(10月3日、長島町地内)

名阪ケーブル L13号ケーブルハット付近(10月3日、国道一号線長島町地内)

作業の合間にタキ火で暖をとる作業員(10月3日、L13号ケーブルハット前)

自衛隊の通信部隊の応援をえて南区柴田地区の通信施設の復旧がはじまった−−作業前の打合せ(笠寺電話局区内)

作業前の打合せ(笠寺電話局区内)

建柱車による建柱作業−−つぎつぎに電柱が建てられてゆく(笠寺電話局区内)

建柱車によってみるまに電柱は建てられてゆく(笠寺電話局区内柴田地区)

泥 ドロの中で建柱作業(笠寺電話局区内柴田地区)

建柱車が使用できない場所はもっぱら手掘り作業で(笠寺電話局区内白水地区)

根枷の取付作業(笠寺電話局区内白水地区)

自衛隊は機動力を十二分に駆使して建柱作業に威力を発揮(笠寺電話局区内)

またたくまに電柱は建てられて行く(笠寺電話局区内)

屋根瓦が大半ふっ飛んだ中央電報局局舎

山と積まれた電報も通信課員の奮闘によって片付けられてゆく(9月30日、名古屋中央電報局)

9月29日には滞留電報が25万通にも達した(9月30日、名古屋中央電報局)

鈴鹿学園からかけつけ転写の応援に懸命な訓練生(9月30日、名古屋中央電報局)


公衆電話からの電報受付にテンテコ舞(9月30日、名古屋中央電報局)

電報中継機械はスリップの洪水で埋まった(9月30日、名古屋中央電報局)

文字どおり山と積まれた電報(10月1日、熱田電報局)

机の上も電報の山(10月1日、笠寺電報局)

電報区分に多忙な熱田電報局員(10月1日)

電報の山山(10月1日、笠寺電報局)

冠水地域は配達不能のため電報は区分棚に一杯(10月1日、笠寺電報局)

四日市、桑名方面あて電報の使送 通信局運動場でヘリコプターに積み込む(10月2日)

めざましい活躍ぶりをしめしたヘリコプター(10月2日、通信局運動場)

山になった電報を区分するに汗だくの電報局員(9月30日、桑名報話局)

電報の発信や 電話の苦情、問合せで窓口はご覧の通りの大混雑(9月29日、桑名報話局)

電報の受付で大多忙 発信者はいずれも罹災者ばかり(9月29日、桑名報話局)

近くの名古屋競馬場には約4千人の被災者が退避しているが水が深くて近寄れないので胸までつかって電報受付に出かけたが うれしさに手を合す老婆の姿もあった(10月1日、名古屋競馬場付近)

臨時電報受付には被災者がつめかけ 各地の肉親や知人への連絡に利用された(10月1日、名古屋競馬場付近)

電報を差出す人のカオにやっとほっとした表情があらわれた(10月1日、南区大江電停付近)

「コメ ヤサイタノム」「ハハシス アトブジ」といった電報が差出され 目頭があつくなること再三(10月1日、南区大江電停付近)

水のない場所をえらんで サービスカーによる臨時電報受付を行ない被災者から感謝される(10月1日、南区大江電停付近)

罹災者を収容している学校を巡回して臨時電報受付を行う(10月1日、南区笠寺小学校)

流木などで足の踏み場のない被災地で開設中の移動無線局車(10月13日、南区南陽通六丁目)

半月たっても水はひかない−−真剣な表情で通話中の消防隊員(10月11日、港区杁場町電停付近)


移動無線局車も各所に移動して電報受付 電話通話に活躍しその真価を発揮した(10月6日、港区築三町)

災対本部前に店開きしてにぎわう移動無線局車(10月11日、港区小碓学区災対本部前)

被災現地へきたサービスカー『罹災者の方は無料で電報を受付ます』(10月12日、南区豊代町)

電報・電話の受付でにぎわうサービスカー(10月10日、南区大江電停付近)

急ぎ浜名湖から運ばれたボート 救援物資や電報の配達に用いられる(9月30日、通信局内庭)

浜松から電報配達用のボートが到着した(10月2日、通信局前)

電報配達用のボートを トラックに積込む(10月8日、熱田電報局)

浸水地帯について 漁船をおろす(10月9日、港区木ノ免町)

呼び出し用スピーカーを肩にして(10月2日、港区港楽町)

タタミ 板切れなど ゴタゴタの浮遊物を押し分けて(10月2日、港区港楽町)

小雨の中をボートで電報配達する熱田電報局員(10月2日、港区東港中学校前)

ボートの上から電報配達(10月2日、港区名港紡撥工場)

舟で進めないところは 歩いて配達する(10月9日、港区新舟町)

のり採り舟も 電報配達に狩り出された(10月9日、港区神明町)

スピーカーで呼びかけながら浸水地帯を行く(10月9日、港区神明町)

材木で一パイの道路 舟をこぐにもたいへん苦労する(10月6日、港区大手町)

避難所を目あてに電報配達する(10月6日、港区築三町)

電報を受取る罹災者(10月9日、港区新舟町)

やっと水がひいて バイクが使えるようになった 勇んできたが受取人はどこに行ったのか不在(10月14日、港区柴田本通)

泥の中を歩いて電報配達(桑名局区内)


高潮でやられた被害のあとがいたいたしい「電報です」「御苦労さま」(9月30日、桑名市)


磁石式で応急復旧した富田報話局の交換台(10月21日)

応急復旧した富田局の磁石式交換機(10月21日)

壊滅した富田報話局は ただちに磁石式交換機に切替えられた(10月21日)

ビニールでカバーした共電式交換機(10月21日)

応急復旧に懸命の富田報話局機械室(11月3日に第二次復旧で共電式にもどった)(10月20日)


無線

3日に一回 名港から現地へ 連絡用のモーターボートが出る(10月26日、名古屋港)

食料の補給や 要員の交替は すべてこのモーターボートで行われる(10月26日、名古屋港)

十四山村の船着場 ここから救援物資などが配達される(10月26日)

テント張りの十四山村臨時役場に公衆電話が設置されている(10月26日)

保守要員は高山・作手などからはるばる派遣された人々(10月26日)

せまいテントの中で 無線機器の保守に不眠不休(10月26日)

十四山村臨時無線中継所のテントは堤防の上にある 二人の保守要員が三日交代で保守している(10月26日)

弥富臨時無線中継所もバラック小屋(10月26日)

満潮時はここまで潮がくる(10月26日)

弥富臨時無線中継所保守は 一週間交替だ 長い勤務を終って帰途につく保守要員 ここからボートで名港へ(10月26日)

職員

救援物資の山(9月29日、通信局北入口)

救援物資の山(9月29日、通信局北入口)

毛布を食料を 救援物資の積込みに忙しい(9月29日、通信局北入口)

救援物資の積込みに忙しい(9月29日、通信局北入口)

罹災職員の安否を気遣いながら 救援物資を担いで泥水の中を行く(9月30日、港区)

救援物資を配達し 罹災職員を元気づける(9月30日、港区)


応急宿舎

はるばる東京から パイプハウスの建材がトラックで運ばれた(11月8日、通信局運動場)

基礎はブロックで・・・・(10月10日、名古屋工作工場)

一本一本パイプをつないで 骨組ができる(10月10日、名古屋工作工場)

次にパイプを固定する作業 これで骨組は完成だ(10月10日、名古屋工作工場)

トタン板が張られて完成に近づいて行く(10月10日、名古屋工作工場)

屋内の間仕切りもできた 6畳と4畳半それに炊事場と便所がつく(10月20日、通信局運動場)

外観はスマートなトタン張り 清潔な感じの建物だ 八分どおり出来上がった三棟(10月20日、通信局運動場)