東京統制無線中継所には二つの顔かあります。
即ち最初のマイクロ局そして全図のマイクロ局の代表として
の東瑞、及び全国テレビジョン中継網のセンターとしてのTRC
この二つてす。
この二つは叉、地理的、組織的に麻生・宮村の無線中継部
そして青山のテレビジョン部とそれそれ見倣され、又そう呼
ばれる場合も少なくありますせん。
ところて、昭和48年1月十条統制無線中継所のサービス開
始とともに無線中継部は発展的解消を遂げることとなりました。
昭和29年4月、東京一名古屋一大阪間を結ぶ我か国、初
の基幹マイクロ回線の東京側端局、即ち東端として名を馳せ
た無線中継部は、ここにその20年の歴史の幕を閉じることに
なったわけてす。
他方テレビジョン部には、テレビの切替を全図的規模てED
PS化する所謂マスコットシステムか設置されるなど、今後
東京統制無線中継所はテレビジョン中継センターとして一
段と拡充される傾向にあります。
今年は時あたかも東瑞の着工から数えて丁度20年目に当り
ます。
振り返ってみますと、この東端20年の歩みはマイクロの創
設に始まるその発展史の縮図でもあり、この機会にこれまで
の記録をまとめ小冊子と致しました。
本来ならば、当初からの諸先輩・関係者の苦心談・思い
出等を主とし資料を添えて活字て綴るべさ所てすか、当所の
ユニークな性格を反映すべく敢えて写真集と致しました。
資料の蒐集に当っては話先輩はじめ、関係各方面の多大な
御協力を項さ、開局に始まる各マイクロ・ルートの開設、当
時の使用機器、主要な行事、賓客・公社幹部の来訪・視察来
所等の記録を主とし、その中に時々の職員の人間模様等も織り
混ぜて編集致しました。
資料の不備、不足、取捨選択の不適、年代による疎密等が
ございますか、目で見る東端20年の歩みとして今後の関係者
の何等かの御参考となり、又過去の経緯をたどるよすがとな
ることができればまことに幸てす。
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